みなさんは「無知の知」という言葉を聞いたことがありますか?
高校の倫理の授業で習ったのを覚えている方も多いと思います。
紀元前のギリシャの都市であるアテナイ出身の哲学者、ソクラテスの有名な言葉です。
しかし最近では、この言葉を誤りだとする意見が多くなっているのをご存じですか?
(これについては後ほどお伝えします)
哲学のオリジンとされる名著「ソクラテスの弁明」は、市民から「神様を信じていない」「若者を堕落させている」という理由で訴えられ、裁判にかけられたソクラテスの供述を、弟子のプラトンが書いた作品です。
あくまでもプラトンの作品のため、作中のソクラテスの供述の真偽はわかりませんが、一言一句が鬼気迫るものがあり、哲学書というよりは、小説のようにグイグイ読めてしまう作品です。
哲学書なのにドキドキハラハラしながら読めたよ
・哲学書を読んだことのない人
・好奇心が旺盛な人
・生きているといずれ必ず来る寿命を恐れている人
「無知の知」ではなく「不知の自覚」
先述したように、当時授業で習った「無知の知」は、今では誤りだと言う指摘が多くなっています。
正確には「不知の自覚」と著者は言います。
一体何が違うのでしょうか。
「無知」とは、自分が何も知らないことに気づいていない状態です。
たとえば「君は無知なヤツだ」と言われると、ネガティブなイメージがありますね。
しかし「不知の自覚」は自分が何も知らないことを悟り、そこからより深く知識を求めようとする、ポジティブな姿勢がくみとれます。
ソクラテスが知恵を求めて対話を行った政治家や職人は、自分が何も知らないことを認めようとせず、逆に恥をかかされたと思いました。
そんな憎悪が重なって、ソクラテスの裁判へと発展したのでしょうか。
ともかく、ソクラテスは現代の私たちに、知ったかぶりをやめて謙虚に学ぶ姿勢を教えてくれているのかもしれません。
飽くなき知を求める旅
何故当時のアテナイの人々は知ることを求めなかったのでしょうか。
本書を読んでいると、当時の一般人は、「知る」こと自体を恐れていたように思えます。
さまざまな自然現象や宇宙の法則は、神々の仕業だと信じてやまず、科学的に探究することは「神への冒涜」だとされていました。
まるで好奇心が悪いものだとされていたように。
そんな中でソクラテスは「知る」ことを恐れず、知への探究をやめませんでした。
哲学者は英語でソフィスト。「知を愛する者」という意味です。
知ることは人生を豊かにし、善く生きること(=人間の価値)を追求します。
「全ての学問は哲学からはじまった」って言葉も納得できるね
もちろん、ソクラテスが生まれる前にも哲学者は存在していました。
しかし、当時は「この世は何でできているのか」「どうやって地球は生まれたか」といった、人間の外側のことにフォーカスした人物ばかりでした。
ソクラテスのように「人間とはなにか」「善く生きるとはどういうことか」といった人間の内面に踏み込んだ哲学者はいなかったようです。
そこがソクラテスが西洋哲学のさきがけと呼ばれる所以かもしれません。
ただ「善く生きる」とは一体どういうことでしょう、なんとも抽象的な言葉です。
「人間として立派なこと」でしょうか。
そう考えるとソクラテスは、現代でいう倫理や道徳の第一人者とも言えるかもしれないですね。
死を恐れるな
さて、物語の結末はどうなるのでしょう。
ソクラテスは必死に弁明しますが、2度の裁判員の投票によって死刑が確定してしまいます。
しかし、終始ソクラテスは死ぬことを恐れませんでした。
当時の裁判にかけられた人は、命乞いをしたり、お金を払ったりして刑を減らすことを願ったようでしたが、ソクラテスは自分の信念を貫き通したのです。
何故、彼は死を恐れなかったのでしょうか。
理由はシンプル。
それはこの世に死を体験した人がいないからです。
「誰も知らないことを恐れることは愚かなこと、もしかしたら死はこの世では体験できないほど安らかなものかもしれない」とソクラテスは言います。
本書の続編、「パイドン」のなかでも「正しく知を愛し求める哲学者たちは、死にゆくことを練習している」とあります。
私たちは死ぬことを、得体のしれないものとして忌み嫌わず、勇気を出して面と向かって立ち向かっていかなくてはなりません。
勇気をもって死について考えることで、もっと今を生きようと思えるかも
私たちも知ることをやめない
ソクラテスは約紀元前5世紀に活躍した人物です。
そしてほぼ同時代に、孔子やブッダなどの思想家が活躍したのは興味深いです。
(ちなみに哲学者や思想家が世界各地に現れたこの時代は、「枢軸の時代」と呼ばれています)
それぞれの偉人が、それぞれの考え方で、人間の内面や善く生きることについて吟味していました。
そして彼らが考えた人間の本質は、今の私たちにも通用します。
「善く生きる」とはどういうことか、私たちも日々の暮らしのなかで考えて答えを求めていきたいですね。
「知りたい」と思う心は、生きる原動力だね
コメント